
キンカチョウは馴れづらい?
たびたび、そんなトピックをネット上で見かけます。
これまでモノたんしかお世話したことがありませんが……
個人的には「愛情表現がヘタなだけで、学べれば、だんだんうまくなっていく(馴れていく)」かな?と思っています。
モノたんは、文鳥やインコのように、最初から人間に分かるように、愛情表現をするわけではなかったです。
手乗りは手乗りなんだけど……。

挿し餌期間が終わったとたん、一人遊びすることが多くて、呼んでも気まぐれにしか飛んでこない。
そんなところが、人間からしたら「馴れない」ように見えてしまうのかもしれません。
少なくとも昔の私はそうでした。
でも、最初の1年くらいは、そうやって過ぎていったのですが……。
2歳頃になって落ち着くと、モノたんは横目で、先代文鳥の甘え方を少しずつ盗むようになりました。
もしキンカチョウと一緒に、甘え上手なインコや文鳥を飼っているのであれば、同じことが起こるかも知れません。
例えば、おにぎりされながら撫でられている文鳥が、とてもうっとりした表情で寝ているのを見ていたモノたん。
次の放鳥のとき、わざと私の手から逃げずに自分も試してみようとしました。
それまでは、手で包まれそうになったらとりあえず逃げていたのに……。

我慢しておにぎりされてみると
「あれ?なんだか気持ちいい?」
と、モノたんは気づいたみたいです。
それ以来、(やっぱり文鳥のようにいつでも、というわけではなかったですが)おにぎりもさせてくれるようになりました。
呼ばれたときに飛んでいけば、おにぎりしてもらえることも学んだので、してもらいたいときはすぐ飛んでくるようにもなりました。
それから、おにぎり解除が不満なときの、人間への伝え方について。
「もっと撫でて~」な気分な文鳥は、軽く怒りぎみに指をつつきますよね。
モノたんは最初、何もせずに飛び立ってしまっていたのですが、それを見てからは、続けて欲しいときは指をつつくようになりました。
私からは、文鳥のように感情を込めず、無表情というか、淡々と高速でつついてるように見えるのですが(笑)
そうやって文鳥から盗んだやり方もありますが、年を重ねるにつれて、モノたん自身も飼い主の仕草や表情が読めるようになってきたようです。
手乗りの鳥は、年を取るほど賢くなっていくように思えますよね。
それはもはや、馴れる馴れないの問題ではなく、お互いがお互いを理解できている(から余計な動作や声かけがいらなくなっている)のだと思います。
この初夏、私は文鳥を亡くしました。
闘病の間は、どうやってもモノたんに構う時間が減ってしまって、とても寂しい思いをさせたと思います。
一見、表情には出てないので気がつかなかったのですが、ある日、とっても激しい感情表現をされて、びっくりしたことがありました。
これはまたの機会に書ければと思っています。

亡くした後、モノたんは、落ち込んでいる私への接し方が変わりました。
放鳥中は、まとわりついて離れなくなりました。
これはネルをお迎えした今でも、何となくそのままです。
残された鳥の態度が、飼い主をとっても気遣うように変わることは、これまでにも経験したことがあります。
でも、キンカチョウもそうなのかと、はっとしました。
よく考えたら、私がそう思ったのも、クールに見えるキンカチョウに失礼な決めつけをしていたからですね……。
なので今は、キンカチョウだって他の種類の鳥と同じように、飼い主に対してきちんと愛情は持っているのだと感じています。
それを人間に分かるように表現するかどうかは、その子しだいですが。
そんな経験をしたので、「キンカチョウは馴れづらいか」と聞かれると、私は「そんなことはない」としか言えません。
ただそれは、すぐに分かるようなものではなかったです。
一緒に長い間を過ごすことで、少しずつ理解できるようになるものかなと思っています。